私のお気に入り“My favorite things”と言えば、ミュージカル「サウンドオブミュージック」の1曲で、JRの「そうだ、京都行こう」のCMソングとして、またジャズのスタンダードとしても有名な曲である。私は子供の頃から、ジャズやファンク、フュージョン、ラテンと言った(マニアックな?)音楽が大好きで、学部学生の頃は授業も二の次に、大学のバンドサークルでキーボードを弾くことに明け暮れていた。大学院に進学後は、多くの音楽仲間が就職し、東京を離れたり忙しくなったりして行く中、大学の外のいくつかのバンドに加入し、ライブを中心に音楽活動を続けていた。時には指導教員のU先生の目を盗み、研究室を休んで大阪や名古屋などまでライブを演りに出かけたり、数日がかりでCDのレコーディングを行ったりすることもあったが、今から考えればよく愛想を尽かされなかったものである(U先生の懐の深さに感謝)。
自分は、究極に困らない限りものを替えない性格である。決して面倒なわけではなく、新しいものに執着がないだけである。そんなこんなで、大概のものは壊れるまで使い続ける。携帯電話は、アメリカから帰国した8年前に購入したものをいまだに使っている。折りたたみ式で、もはや液晶画面は3回に1回くらいの確率でしかつかないが、それなら3回開ければよいだけのことである。服も鞄もすり切れるまで替えないので、大概は家族から強制的に捨てられてしまい、渋々新しいものを買いに行くといった具合だ。今使っている仕事用のパソコンも、同じくアメリカから帰国した8年前に購入したMacBook Proである。当然ながら、OS Xで作動する。ご存じの方も多いかと思うが、2001年にOS 9からバージョンアップした際に、互換性がなくなってしまった。このため、OS 9でしか作動しないソフトのために、一時期のマックパソコンにはOS XとOS 9の両方が組み込まれていた。
私のお気に入り、というのは非常に難しい題材です。なぜなら僕は、お気に入りといえるものを全然思いつかないからです(性格が曲がっている)。いっぽうで、気に入らないものであれば枚挙にいとまがありません。そこで、いっそ、と、「気に入らない」という名前のポストを書いたのですが、これがどうも感じが悪い。あんまり感じが悪いのもどうかな、と思って、ウンウンと「気に入らない」リストを眺めていると、そうだ、好きやヤツがいるわ、ということに気がつきました。それは、こどもたちと一緒に見ているアンパンマンに出てくるバイキンマンです。ちなみにそれを思い出すきっかけになった「気に入らない」は下記2点でした。
若い頃、毎日のように映画館に通っていた時期がありました。そこで出会ったとりわけお気に入りの一本に「スティング」があります。かつて隆盛をきわめたアメリカンニューシネマの名作で、ジョージ・ロイ・ヒル(監督)、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードとくれば、心が躍る方もいらっしゃるのではないでしょうか。スティングは、「詐欺」をしかける映画、それも大仕掛けの…。1930年代のシカゴ、ギャングのボスに仲間を殺された駆け出しの詐欺師フッカー(=レッドフォード)が、仲間の敵をうつために、すでに引退した伝説の詐欺師ゴンドーフ(=ニューマン)と組んで世紀の大勝負を仕掛けます。映画は、クライマックスに向けて着々と進行します。なんともファッショナブルな古き良き時代のフレーバーの中をストーリーが流れていきます。複雑な伏線、場面設定、人物配置が実に巧妙で、観ている側はいつしか映画の中で進行する大仕掛けの中に引き込まれていきます。そして最後のクライマックスを迎えるのです。その、見終わったときの「やられた!」という爽快感が何とも言えません。この見事な「裏切られ感」はクセになります。
前回の投稿、公式連載「はじめが大事?」の続きを書かせてもらいます。
修士2年目の夏前の研究会でのネガティブな研究結果発表の後、渡辺公剛先生がベンチにきて、「あなた、もう飽きたかい?」とおっしゃられました。植物ミトコンドリアにおけるRNAエディティングの試験管内実験がうまくいかなかったこともあり、博士へ進学することを希望していた私は、内心「ほっと」し、動物ミトコンドリアにおける遺伝暗号変化の分子メカニズム解明にテーマを変えることになりました。今でも、その時の状況、自分の心境は鮮明に覚えています。
毎日を何気なくお気楽に過ごしていた私にとって、御縁で伴侶となった塩見春彦についてアメリカに渡ることに何ら抵抗はなかった。博士過程への進学も魅力的だったが、塩見曰く「留学は数年」ということだった。博士は日本に帰ってきてからでもいいし、旦那が働いているあいだ、私はテニスをしたりNYやDCに行ったりで、海外生活を満喫しようと密かに目論んでいた。が、アメリカに着きGideonに出会ったとたん、「家に毎日一人でいても退屈だから僕のラボに来て仕事しなさい」といわれた。彼もNorthwesternからUPENNに移ったばかりだったし、人手を欲していたのは確かである。私の淡い目論みはGideonの一言で脆くも崩れ去ったが、こうして私は「RNA」に出会った。そしてお互い飽きもせず、未だにお付き合いさせていただいている。
大学院入試も終わり、研究室に配属されたのは1992年9月。最初に与えられたミッションは、『形態誘導因子エピモルフィンのファミリー分子を同定せよ』でした。今なら配列をBlastに投げて3秒で終わる作業ですが、当時は縮重プライマーを用いたPCR→PCRフラグメントのクローニングとアクリルアミドゲル電気泳動でのシークエンス→部分断片を用いたλgt10ファージライブラリースクリーニング→全長をつなぎ合わせるサブクローニング、と、それなりに手間のかかる仕事でした。とはいえ、技術的には確立している実験ですし、やる事は決まっていますから、体力だけは自信がある人間向けの実験であったと言えましょう。そして誰しも20代の頃は体力に自信があるものです。
私が研究室に所属して最初に与えられたテーマは、カブラハバチ(膜翅目)の精子形成過程の観察である。膜翅目昆虫は半数倍数性というかなり変わった性決定様式を持っており、二倍体の個体は雌となり、半数体が雄となる。ところが、雄の配偶子である精子はもちろん半数体なので、半数体の生殖細胞から半数体の精子が出来るはずである。これらのことから、膜翅目昆虫の精子は減数分裂において、ちゃんと「減数」していない(還元分裂でない)ことが予想されるが、詳細な解析は行われていなかったと思う。わたしの最初にやったことは、カブラハバチの精巣のフォイルゲン染色(核染色)と、精巣のパラフィン切片を用いた細胞の形態観察である。カブラハバチの精子形成における減数分裂を観察することにより、非還元的減数分裂という面白い現象の詳細を明らかにし、さらには還元分裂を行う雌との比較により、減数分裂の制御メカニズムを探ろうとするものであった。
と、エラそうに書いたが、実はこのテーマ、あまり進まなかった。