2016年07月07日(木)

The 20th Tokyo RNA Club: Clues to Non-coding RNA Taxonomyに参加して

投稿者: 塩見 春彦
北京紫禁城の石畳———600年、どれだけの人々がこの上を通り過ぎたのかーーー 北京紫禁城の石畳———600年、どれだけの人々がこの上を通り過ぎたのかーーー

今回の「The 20th Tokyo RNA Club: Clues to Non-coding RNA Taxonomy」は第20回にふさわしい素晴らしい内容でした。これは、オーガナイザーである廣瀬哲郎さん、中川真一さん、そして泊幸秀さん達のご尽力とご人徳の賜物であり、また、彼らのこれまでの研究成果が高く評価されていることの証です。さらに、このミーティングにおける特筆すべき点は、アジア各国、特に中国とオーストラリアとの連携を強化することがその国を代表する研究者によって確認され、合意され、今後の具体的な活動(たとえば、「アジアRNAミーティング」の定期的な開催等)が提案されたことです。これもまたオーガナイザーのご尽力とご人徳の賜物です。今後、このような活動が活発に行われ、その継続の中から第二、第三の廣瀬・中川・泊が舞台に登場してくることを期待します。特に周りを引っ張っていける若い女性の出現が強く望まれます。今回、Lingling Chen、Julie Claycomb、そしてOlivia Rissland達の爽やかなアグレッシブさを見ていると、やはり、欧米や中国に較べ、若い女性研究者が全く目立っていないことが目立ちました。これは大きな課題です。眩しいほどの輝きを発するスターを育てていかなければなりません。

第一回Tokyo RNA Club (2008)が開催されてから8年が経ちます。もともとの開催の趣旨は、RNA研究者が交流する場をつくる、特に、若い人達が世界の第一線で活躍する研究者と直接相互作用する機会と英語で自分の研究成果を発表する機会をつくり、国際的な研究者ネットワークに若者を組み込んでいくことでした。この趣旨は今も変わっていません。今、日本は「知の国際競争から脱落する危機」を迎えています。少子化の回復する見込みのない蔓延は、研究を支える人の数の低下と、したがって、質の劣化を招きます。また、女性研究者を育てない環境は、私たちの持つ全ての才能の内、その半分にそれを試す機会も与えていないことになります。最近の研究者(PI)の愚痴は、「大学院生が来てくれないんだよね、若者はどこに行ってしまうのだろう」とか、「彼らは安定を求めて企業に就職すると言うけど、今時の企業が安定だとは思えないのだけど、それでもポスドクより良いのか?」とか、「研究って面白いよね、なぜ、彼らは面白いと思えないのだろうか」とか。

私は、最近、研究とその成果としての論文は朽ちることのない墓石のようなものだと思っています。論文を一つ出すたびに墓石を一つ立てる。プラトンはこんなことを言っているようです。

エロスとは生き物に子を産むようにしむける神である。死をまぬがれぬ動物はエロスに導かれて、より良きもの、より美しきものと結合して子をなさんとする。自己をより良くより美しく永遠に保存し、不死にしたいからである。しかし、人間という特殊な動物にはこうした生物学的な自己保存願望のほかにもう一つ、自分が獲得した「知」を同じように永遠に保存したいという本能がある。しかも、より良く、より美しいものを見つけてその中に自己を保存したいと欲するのだ。

(鹿島茂 2013年10月26日、毎日新聞)

私は日本の短詩型文学、つまり、俳句と短歌にあまり関心をもつこともなくすごしてきました。しかし、日本にいる限り、積極的に目や耳を塞がないかぎり、どうしても膨大な数のそれらに接してしまいます。それらの中には惹きつけられ逃れ難く記憶に残ってしまうものがあります。そのようなものを二つ紹介して終わりにします。一つ目はなんだか明るく逞しいエロスまたは研究への情熱のようなものを感じさせる俳句。ふたつ目は、結果として選んでしまった人生を丁寧に生きるための励ましとある種の悲しみ(人生はやり直しができない、コントロールもとれないから最善の道を選んだのかどうかは誰にも判断できない、だからこそ、選んだ人生を丁寧に慈しんで生きていかなければならない)を感じさせる短歌。

妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る
   中村草田男

かの時に我がとらざりし分去わかされのかたへの道はいづこ行きけむ
   美智子皇后

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