2017年07月15日(土)

研究室の10年

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今から10年前の2007年というと、私の研究室がちょうど立ち上がったばかりの頃である。4月から研究室に加わってくれたポスドクの川俣さん、大学院生の岩崎さん、秘書の丸山さんと私という4人体制で、規模は小さいながらも密度の濃い研究が始まりつつあった。とはいっても、当時のメールを読み返してみると、研究所の新人歓迎会でやる出し物のために、ピタゴラスイッチという番組内でやっていた「アルゴリズム行進」を替え歌にして体操しようということになり、カラオケを宅録で作って研究室で皆で歌を重ね録りしてみたり、隣の研究室から「人数が少なくて寂しいでしょうから良かったら一緒にどうですか」と研究室旅行に誘っていただき、山形まで交代で運転しながら出かけたりと、なかなか楽しそうな日々を過ごしていたらしい。

研究室から最初に発表した論文は、2009年のmicroRNAによる標的サイレンシングの分子メカニズムに関するものである。当時、siRNAによるRNA干渉(標的RNA切断)の反応に比べて、microRNAによる標的サイレンシング機構の理解は大きく遅れていた(そして今もなおその状況は続いていると言える)。そのため、その未知の部分について古典的な生化学を使って切り込もう、というのが研究室としての最初のプロジェクトであった。これも昔のメールで確認すると、ショウジョウバエの胚の抽出液の中に化学合成したmicroRNA二本鎖を入れると、標的を模したレポーターmRNAのpoly(A)鎖の短縮や翻訳の抑制が再現できるという基本的なin vitro系は、2007年の今頃には、ほぼ出来上がっていた様である。

しかしちょうど同じ時期、Matthias HentzeNahum Sonenberg、そして脇山 素明さんの3つのグループから、相次いでmicroRNAのin vitro系の構築に関する論文が報告された。自分たちがまさにこれからやろうとしていた(そしてすでに足がかりも得ていた)内容が、ある日別の(しかも大御所の)グループから有名誌に発表されるというのは、研究者としてはできれば、いや決して起きては欲しくない出来事である。思い起こせば、その時は結構ショックを受け、きちんと情報収集できていればタイミングを合わせて短い論文をまとめられたかも知れないと悔やんでみたり、こんな激しい競争の中で果たしてこの先やっていけるのだろうかと真剣に悩んだりもした。しかし、彼らの論文だけではまだまだ分からないことが沢山残されていたということ、そして、我々はショウジョウバエが持つ2種類のArgonauteタンパク質からエフェクター複合体RISCを作り分けることができるという独自の系を持っていたことから、何とか気を取り直して研究を前に進めることとなった。その後1年ほどかけて、ハエのAgo1は標的の脱アデニル化を誘導できるがAgo2にはその活性が無いこと、また、Ago1もAgo2も脱アデニル化とは独立して翻訳抑制を引き起こすことが可能であるが、そのメカニズムは異なっているだろうということなどが明らかとなり、新規性のある論文としてまとめることができるという状況になった。

最初に投稿したのは2008年の7月、Science誌では査読に回してもらえたものの、「興味深いが予備的すぎる」というコメントを受けリバイズは許されなかった。とは言え、もらったコメントは非常に的確なものであったため、1ヶ月ほどかけて論文を修正し、Cell誌とMolecular Cell誌に投稿(co-submission)することとなった。Cell誌では「conceptual advance of broad interestに欠ける」との良くあるパターンで査読にも回されず、ようやくMolecular Cell誌からコメントが返ってきたのが10月末。しかし、ここからレフリーとの長く激しい戦いが始まった。今読み返すと顔から火が出るような若気の至り感満載の、拙いのにやたらアグレッシブなrebuttal letter (日本の長びく景気低迷にまで言及した反論はなかなか珍しいだろう)を返し、結局3ラウンドのリバイズを経て、最終的にアクセプトをもらったのは2009年の2月であった。研究室が立ち上がってから約2年、自分たちの最初のプロジェクトを論文として世の中に発表できたことは感慨もひとしおだったが、同時に、苦しい中を一緒に頑張ってくれた研究室のメンバーへの感謝と、そのような素晴らしいメンバーが集まってくれた幸運をひしひしと実感した。

さて、せっかく論文が通ったのだから、表紙にもトライしようということになった。当時、佐々木さんは理学部横山研究室の大学院生だったが、私たちの研究室のジャーナルクラブに参加してくれており、ほとんど毎週の様に顔を合わせていた。佐々木さんと言えば写真やジャグリング、WIRED誌の執筆など、サイエンスだけではなく文化的にも多才な人物であるが、論文のアクセプトをお祝いしてカメラマンを買って出てくれたのである。同じく写真が趣味であったファーストオーサーの岩崎さんや研究室の他のメンバーも総出で手伝い、本格的なジオラマを組んでArgonauteの名前の由来であるカイダコ(アオイガイ, Argonaut)の写真を撮って編集部に送ったところ、見事表紙に採用された(採用後も、編集部からの「背景に砂があればなお良いね」というコメントのおかげで、再度ジオラマを組み砂をまいて写真を撮り直す、ということまで行った)。それ以降、私たちの研究室では表紙デザインに力を注ぐことが1つの伝統になっており、これまでにかなりの数が採択されている。

あれから10年。幸いその後も素晴らしいメンバーに恵まれ、研究室の規模も大きくなり、研究対象も研究手法も多様化した。多田隈さんのおかげでスタートした一分子観察も、色々と面白い展開を見せつつある。それでも、やはり古典的な生化学 ― 生体内で起きている面白い現象をできるだけ忠実に試験管内で再現し、必要な因子を同定してその性質を調べ、最後は再構成して理解する、という古き良き御作法 ― の偉大さは色あせていないと感じる。今後も生化学に徹底的にこだわり、それを自分たち独自の強みとして活かしながら、様々な方法論を積極的に取り込んでいくことで、次の10年をしっかり走っていきたい。

泊 幸秀

東京大学 定量生命科学研究所 教授
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