2019年01月31日(木)

平成元年のビール博士

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平成の時代も間もなく終わる。エッセイのお題に従って、5年前と何が変わっただろうと考えていたら、思いが突然30年前に遡ってしまった。今から30年前、そうちょうど昭和の時代が終わろうとしていた時である。思い出はなぜか祇園花見小路のBar Fへと飛ぶ。その夜私は何人かとFで飲んでいた。テレビは昭和天皇の最後の闘病を刻一刻と伝えていた。そんな時に飲むなんて不謹慎な話だが、私はその日博士論文を提出したはかりだったので許してほしい。サバティカルに来ていたGroup I intronの研究者David A Schubという人も一緒だったような気がする。彼が昭和天皇のことをvery strong manと言っていたのを何となく覚えている。他に誰がいただろう。

私はFの髭面のマスターと妙に気が合い、貧乏学生にとってはそれほど安いBarではなかったFに結構頻繁に来ていた。Fの思い出はビールとつながっている。Fのマスターは面白い人で、色々なビールをブレンドして飲む人だった。私もビールが好きで良く飲んでいたので、マスターとどんなビールがうまいかを良く話していた。私は当時北白川に下宿していて、近くの疎水沿いの酒屋でよくビールを仕入れていたのだが、この酒屋には珍しいビールが置いてあった。時には朝まで実験をしていた私たち大学院生にとっては、どこの酒屋に何ビールが置いてあり、その酒屋は何時まで開店しているのかが非常に重要な情報であったのだ。珍しいビールのひとつは、サッポロのエーデルピルスという当時は希少な麦芽100%ビールで、特にホップが良く効いた苦みのあるやつだった。もう一つは、キリンエクスポートというやはり麦芽100%のコクのある輸出用のビールだった。この二つは特にお気に入りでお金が許す限り仕入れていた。

この話をするとマスターはさすがにどちらのビールのことも知っていたが、それらがその辺の酒屋で売られていることにびっくりしていた。その酒屋の場所を私から根掘り葉掘り訊き出し次の日早速仕入れに行ったらしい。今ならネット注文するところであろうが、当時はそのようなものはなかった。エーデルピルスもエクスポートもいずれも缶ビールであったが、その後酒屋で見ることはなくなった。ところが、先日偶然入った大阪の天ぷら屋でエーデルピルスが出されているのを見て驚いた。熱烈な愛好家がいるようで、業務用の樽のみが販売されていると聞いた。エクスポートはどうなったのだろう。マスターはしばらくしてFを離れ別のBarの雇われマスターになった。一度はそのBarまで追いかけて行ったことがあったが、非常に高い店だったことと私が留学したことでそれきりとなった。あの髭面のマスターは今どうしているのだろうか。

この日提出した博士論文は無事合格し私は間もなく平成元年の博士となった。しばらくして私は米国NYマンハッタンにあるロックフェラー大学のBlobel博士の研究室に留学することとなったが、NYの思い出もビールとつながっている。当時は(今も?)ニューヨークで醸造される地ビールが2種類あった。New AmsterdamとBrooklyn Lager(どちらも小瓶)である。いずれも生産数が少なく、街中ではほとんど流通していなかった。ところが、私が住んでいた70丁目のアパートのすぐ近くのセブンイレブンにNew Amsterdamが置いてあったのである。日本と違って米国のセブンイレブンは新聞・雑誌スタンドに毛の生えたようなものであり、そこにNew Amsterdamが置いてあるのは信じられないような珍事であった。北白川の酒屋といい、私はビール運にだけは恵まれているようである。店に置いてあるNew Amsterdamはほぼすべて私が買い占めたのは言うまでもない。New Amsterdamは、褐色のとても濃厚なおいしいビールであったが、NYを離れてからは一度も飲む機会はない。ところが先日京都の小料理屋にBrooklyn Lagerが置いてあったのには大変驚いた。Brooklyn Lagerは私がNYにいた1年半の間に1回しか飲んだことがない希少なものだったのである。後で調べてみると何のことはない、キリンビールがBrooklyn Lagerの販売を始めたらしい。New Amsterdamも売ってくれないかな。

余談の余談であるが、NYでバーボンウイスキーのおいしさを初めて知った。特にWild Turkeyがお気に入りで良く買っていた。しかしBlobel研のポスドクたちは、バーボンウイスキーを肉体労働者の酒と馬鹿にしていてスコッチウイスキーを好んでいた。自国の生み出した文化・産物の素晴らしさを理解できずsnobbishに外国ものを好む愚かなところは米国人も日本人と同じだと思った。

その数年後ビールの本場ドイツのEMBLで6年ほど研究生活を送ったが、不思議なことにあまり強烈な印象に残ったビール銘柄には思い当たらない。全体的にレベルが高くどれも優等生的においしいからなのかもしれない。しかし、小麦のビールWeizen Bierを初めて飲むことができ、大変気に入った。ドイツでは主に夏によく飲むビールとして知られている。今でこそ日本でも飲めるようになったが、当時はなかった。日本に帰ってから、GK原ビールのHefe Weizenという酵母をろ過していないものを見つけたときはうれしかったが、飲んだあくる日に痛風の発作に見舞われたのは文字通り痛い経験だった。このように私の研究遍歴とビール遍歴は平成の時代とともにあった。教訓は、ビールはほどほどにして研究を頑張れ、というところだろうか。

大野 睦人

京都大学 ウイルス研究所 教授
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