2014年12月29日(月)

Mikiko meets RNA in the USA

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毎日を何気なくお気楽に過ごしていた私にとって、御縁で伴侶となった塩見春彦についてアメリカに渡ることに何ら抵抗はなかった。博士過程への進学も魅力的だったが、塩見曰く「留学は数年」ということだった。博士は日本に帰ってきてからでもいいし、旦那が働いているあいだ、私はテニスをしたりNYやDCに行ったりで、海外生活を満喫しようと密かに目論んでいた。が、アメリカに着きGideonに出会ったとたん、「家に毎日一人でいても退屈だから僕のラボに来て仕事しなさい」といわれた。彼もNorthwesternからUPENNに移ったばかりだったし、人手を欲していたのは確かである。私の淡い目論みはGideonの一言で脆くも崩れ去ったが、こうして私は「RNA」に出会った。そしてお互い飽きもせず、未だにお付き合いさせていただいている。

私はこうして苦労なくDreyfuss Labのメンバーとなったのであるが、Serafin Pinol Romeのベイメイト(実験台が背中合わせ)になったことも幸運だった。hnRNP A1タンパク質の核細胞質間輸送でNatureやScienceに続々論文を放出した気鋭の研究者だ。頭の回転が早くセンスがあり実験が巧い。繊細で、ひとつひとつの実験は勿論、準備にも充分な時間をかける。Gideonも一目おいていた。Serafinにスクラッチから「RNA」を教えてもらい、彼の手際を毎日見て学ぶ日々を過ごせたことは幸運だったとしか言いようがない。

使えないと思われたら回復は難しいからね、という塩見の教えもあり、毎日、手を抜かず丁寧に仕事をするよう務めた。もともと実験は好きだったし、RNAは新鮮だったし、Serafinをはじめ、Erika Matunis、Mike Matunis、Matthias Gorachなどとても個性的で優秀なラボメンバーに囲まれた日々は楽しかった。聴覚は勿論、大げさにいえば五感を通した勉強の連続だった。教授とディスカッションするのに教授の机に半分お尻をのせていてもOKなのだと学び、片手にサンドイッチ、もう片手にcoffeeとリンゴをもったラボを歩きながらのランチもありなのだと学んだ。日曜の午後にラボに電話をしてきて実験をさんざんせかした後に優しく明るく「Have a good weekend!」というボスの‘やり口’も学んだ。研究以外の、日本では経験することのなかった、これらの小さな日常の出来事も正直とても面白く、多くのものを吸収できたことは本当に有り難い。

さて、今回のテーマは「私の最初の研究テーマ」である。私は学部4年生の研究室配属では有機合成を選んだ。言わずもがなRNAとは無関係の分野である。ということで、ここではGideonのところで主要テーマの一つであったFMR1について触れてみることにする。私の博士号につながったということもあり、FMR1には特別な思い入れがある。

FMR1をコードするfmr1はFragile X syndromeの原因遺伝子として1991年に同定された。fmr1の5’UTRにはCGGトリプレットリピートがある。健常人では30程度だが、変異が生じると時には数千という数にまで上昇する。RNA polymerase IIが苦手とする基質だ。結果、転写は阻害され、FMR1タンパク質は作られない。FMR1というたったひとつのタンパク質の機能喪失によって精神遅滞が引き起こされる。では一体FMR1とはどのような機能をもつのか。fmr1が発表された当時、その答えは得られていなかった。明確な機能ドメインが配列に見出されなかったのである。が、ある日、塩見はFMR1のアミノ酸配列を‘観察’していてRNA結合能を推し、それを実験的に証明した。私は相同遺伝子fxr1を同定し、それはfragile Xの患者で発現している、つまり発症とは関係がないことや、FMR1はリボソーム(60S)に結合する因子であることを見出した。FMR1の有無で発現が変化するタンパク質を探るべく、患者と健常人由来の細胞抽出液を2Dで展開するといった実験を試みたが、これは成果に至らなかった。一方、FMR1モノクローナル抗体作製には成功した。western blottingによってfragile Xの家系図とFMR1発現パターンに相関を見出した時は、塩見とGideon、そして共同研究者のNasbaumと共に手に手をとって喜んだ。アメリカ留学の良き思い出の一つである。

最近2D自動装置のデモを行った。サンプルをアプライしさえすれば1次元、2次元と自動で電気泳動をしてくれる。全行程は数時間と短く操作も簡単である。私がGideonのラボにいた頃は勿論そんな便利な機器はなく、1次元用のisofocusingゲルですら手製だった。5mLのビーカーにurea、NP40、ampholyte、acrylamide、そしてmilliQを入れ、全長5mm程度の撹拌子で溶液にする。溶けたらAPとTEMEDを添加する。シリンジを利用して200uLのマイクロピペットにその溶液を吸い上げ、粘土板に立ててイソプロ(だったかな)を重層する。マイクロピペット内のゲルの長さはほぼ同じであることが理想であるが、固まる前にすこしずつ液が漏れ、長さがまちまちになることが多かった。もたもたしているとゲルは無惨にもビーカー内で固まる。ここまでくるのも細かな神経を必要とする。ゲルがうまくできたなら、専用の電気泳動装置の穴にマイクロピペットをつっこみ、バッファーを上下のチャンバーにいれる。透明な液状サンプルを巧くアプライし泳動する。泳動後はマイクロピペットに圧をかけ細長いゲルを押し出すのだが、強すぎるとゲルが壊れてしまう。SDS入りサンプルバッファーで処理後、2次元ゲルのウエルにゲルごとアプライするのだが、ここでもゲルを破損しやすい。こうして記憶を辿り、プロトコルを書いているだけでも緊張してきた。最後、期待される結果が得られるとその喜びも一入である。

MD/PhDの学生DawnがDreyfuss Labの配属になった。2Dを習いたいという。プロトコルを渡し、全行程を丁寧にデモした後、彼女が試みたが失敗の連続だった。ある日、isofocusingゲルをなんとか作り1次元の泳動までこぎ着けた。泳動時間は(確か)4時間程度。その間に他の実験をしましょう、と二人でその場を離れたが、しばらくして様子をみると何かが泳動層で動いている。よく見ると、全てのマイクロピペットからゲルが半分ほど出て、ふらふらダンスをしていた。Dawnの顔は一瞬青くなったが、その隣で大笑いしている私の‘ウイルス’が感染し、二人一緒になって笑いころげた。何を間違えて5mLのビーカーに入れたら、どんな泳動バッファーを誤って使ったら、このような荒技ができるだろうか。勿論、未だに大きな謎である。全自動2D装置を使う今の学生には起こりえない奇怪なアクシデントである。同時に、学生の失敗を一緒に笑いとばす機会が消失したことも確かである。

GideonのラボではDawnをはじめnew comerの面倒をみていた。そのため、奇妙なアクシデントにも多々遭遇した。ある学生はwestern blottingのセッティングをしていたが、しばらくして見に行くと、白いニトロセルロースメンブレンをゴミ箱に捨て、その保護膜である青いプラスチック様メンブレンを使おうとしていた。ある学生は、western blotting装置が上下逆さまだった。あるテクニシャンは、2Lシリンダーに何かの粉末と水を入れ溶液を作ろうとしていたが、いつまでたっても溶液にならないと途中で怒り狂い、中身をシンクに捨ててしまった。ことは単純で、シリンダーの直径より長い撹拌子を使っていたためである。斜めになった撹拌子はおどり、均一に回転しない。ちなみにこのtechは一事が万事こんな感じだったので、数ヶ月でラボを去ることになった。ある学生には100本のエッペンチューブに番号を1から順番に書いてもらうお手伝いを頼んだが「最後の番号が99になったよ」と素面で報告に来た。確かにチューブはラックに100本たっていたのだが、、。

アメリカ留学を終え日本に帰国してから15年余りが過ぎた。徳島大、慶應、東大と、これまでそれなりの数の若手をみてきたが、このような突飛なアクシデントに巡り会う機会は殆どない。日本の学生はセンスがいいのか?そうではないのかもしれない、というのが正直なところだ。「質のゆらぎの幅が小さい」というのはあると思う。均一化されている。日本の教育の賜物か。が、その一方、奇抜な、しかし優れた発想をもった研究者の誕生をも阻んでいる可能性もあるような気がするのは私だけであろうか。
 

塩見 美喜子

東京大学 理学系研究科 教授
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