2017年12月20日(水)

人生の岐路の制御因子

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ノンコーディングRNA(ncRNA)の基礎研究者として、とても共感できる文章に出会ったので紹介したいと思います。某国立大学の文学部長の新入生に向けた式辞で、一時期ネット上で話題になっていたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向をふり返ってみますと、人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう。

この厳しい状況にはシンパシーを感じます。ただ国立大学のミッション再定義の方向性を憂うだけではなく、こうしたことは世間一般の風潮から起因していることを改めて認識せざるをえません。そしてこれは、昨今の過度な出口志向の研究潮流にさらされている私たちにも通じるものです。下記のような問いは私たちにも身に覚えがあるのではないでしょうか。

「なんで文学部に行くの」「文学部って何の役に立つの」等々と言った問いを、・・・(中略)・・・身近な人々から受けた経験を持つ方は、・・・(中略)・・・決して少なくないのではないでしょうか。

創薬や治療診断といった出口を見据えた生命科学研究が、人の生活に貢献することを実感するのは容易です。一方で、一見出口の見えない基礎研究がなぜ大切かをわかりやすく説明することは難しいものです。そもそもそうした研究を遂行している研究者本人が「人の生活に貢献すること」を実感している場合がどのくらいあるでしょうか。

文学部で学んだ事柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持・管理と直接結びつく物ではない、ということです。・・・(中略)・・・文学部で学んだことがらは、皆さんお一人お一人の生活の質と直接関係している、ということです。私たちは、生きている限り、なぜ、何のために生きているのかという問いに直面する時間がかならずやってきます。・・・(中略)・・・文学部で学ぶ事柄は、これらの「なぜ」「何のために」という問いに答える手がかりを様々に与えてくれるのです。

そもそも物事は何であれ、はたからちょっと見渡すくらいでその本質が見通せるほど簡単ではないはずです。その中に飛び込んで、手探りの探求を続けていると、運が良ければ、そこに理解できない重要な問題が現れてきます。ただその時点で、その問題を解くことによって何がもたらされるのかを周囲の人たちに伝えることは難しいものです。

しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます。・・・(中略)・・・人生には様々な苦難が必ずやってきます。恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、・・・(中略)・・・自らの死に直面したとき、等々です。その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。

基礎科学の凄みとは、何もなかったところに新しい概念を生み出し、時にそれが世界を変えてしまうほどの力を発揮するところでしょう。無からの創出とはどれほどドラマティックで、価値のあることか。この価値観をいろんな人と少しでも共有していくことが大切ではないかと思います。最初から「役に立つこと」を目指した研究では、これほど凄みを発する概念を創出しえないことをわかってもらうのです。ただ、将来凄みを発する研究をいかに見抜けるのか、これに答えを与えることは、さらに難しい問題です。

さて私たちの新学術領域にとって、ncRNAの重要性を少しでも分かりやすい形で世の中に発信することも一つの使命であると思います。領域が始まってからの3年間でいくつかncRNAには重要な働きがあることが分かってきましたが、依然として大部分のncRNAの実体は捉えどころがありません。一方で私は最近、追い求めるncRNA像とは、果たしてこのままで良いのかと思うことがあります。つまり私たちは、ncRNAを、タンパク質と同様に、「確固たる役割を持つもの」という分かりやすい型にはめようとしているのでないか、ということです。そんな中で、「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか」という文章を反芻していると、「ncRNAとはこうした存在なのではないか」という考えが浮かんできました。つまり多くのncRNAは、生体内で確固とした役割を負っておらず、周囲の状況に合わせて柔軟に立ち位置を変える蝙蝠のような存在なのではないか、という考えです。例えば、細胞がある困難に遭遇した時、たまたまそこで発現していたncRNAが、図らずもその救済に絡むことになったとします。結果として、役に立たなければそれでよし、万が一うまく働くことができて細胞が救済されることがあるかもしれません。

ncRNAを調べていると、近縁種間でも配列が大きくダイバースしていたり、対応するncRNA自体が存在しないことに行きあたります。また最近のCRISPRiによる大規模な機能解析によれば、細胞種が変わればncRNAの働きも変わるそうです。そもそも、ncRNAには「読み枠」がなく、配列の縛りは緩くてすみます。つまり生物種が困難に遭遇するたびに、細胞内を漂っているncRNAの有用性が非選択的に試され、都合が良ければそれが採用されるといったトライ&エラーが繰り返されているのかもしれません。こうした様々な困難に遭遇しても柔軟に対応できるだけの遊びが細胞には備わっているのかもしれません。私たちが、最近研究しているヒトのncRNAは、ストレス下で急速に発現し、細胞核内に大きな構造体を複数作ります。ストレス細胞でのFISH像を見ると、ゴロゴロした構造体が核内を席巻していて、とんでもない変化が起こっていると思わざるをえません。しかし、このncRNAは、同じ哺乳類でもマウスにはありません。タンパク質セントリックな生物学では、なかなか受け入れがたい違いです。このゲノム上のリピート配列由来のncRNAは、きっとあまり遠くない昔、我々霊長類の祖先が重大な岐路に立たされた際に、苦し紛れに獲得された名残ではないかと思うのです。

人生の岐路のここぞという時に、図らずもそれを良い方向に導き、それでも誇ることもなく、そこで静かに佇んでいそうなncRNAのシルエット像を想像しています。そして、その真価を理解するためには、従来の「役に立つ」ものを追いかける研究者の姿勢を再考する必要がありそうです。ただやはり、その真の大切さを周囲に分かってもらうのは、文学部の学問の重要性を伝えることと同様に難しい課題です。

廣瀬 哲郎

北海道大学 遺伝子病制御研究所 教授
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