ポスドクとしてアメリカに渡ることになり、加入していたバンドを脱退。そろそろサイエンス一本でやっていこうと決意し、渡米前には所有していた楽器や機材をすべて処分した。渡米後、楽器の無い生活を1ヶ月ほど送っていたが、やはり何か物足りない。指がうずうずする。そして人生初の「お給料」が出たとたん、どうしても衝動を抑えきれず、ついキーボードを1台買ってしまった。その後は、ネットの掲示板を使って地元でメンバー募集しているバンドを探して加入。気がつけばキーボードが3台、機材もフルセット揃い、3つのバンドに入って、地元のレストランやパブで演奏しては小金を稼ぐという状態になっていた。また、一時帰国の際には、昔の音楽仲間の方々に声をかけて頂き、KONAMIのビートマニアという当時流行っていたゲームの音楽制作に参加させてもらったりもした。
とにかくアメリカは家が広いので、プロでは無い、いわゆるウィークエンドミュージシャンであっても、自宅の地下室や別荘などにスタジオを作り、ビールを飲みながら大音量で演奏するという、夢のように贅沢な環境であった。残念ながら日本に帰国後はさすがに時間も余裕も無く、もう9年近くまともに楽器を触っていないが、たまにブルーノートや昔の音楽仲間のライブなどに出かけていって生音を聞くと、心が躍る。そして、自分の中にある熱いものがふつふつと騒ぎ出す一方、もう決して昔のようには弾けないという寂しさも覚える今日この頃である。
常々感じていることであるが、サイエンスと音楽は良く似ている。本当に好きなこと、ワクワクできる楽しいことをやってお金を稼げるという点で、ミュージシャンも科学者も、この上なく恵まれた、そして極めて希な職業であると思う。科学者は先が見えず不安定だという声も耳にするが、好きなことを職業にできるという幸せとどこかでバランスを取らないとバチが当たる様な気さえする。むしろ、税金で養っていただけるという意味では、ミュージシャンよりも科学者の方がよっぽど安定しているとも言える。もちろん、楽しいだけはなく苦しいことも山の様にあるが、仲間とアイコンタクトを取りながら最高の演奏が出来たあの瞬間の喜び、自分の手で(最近は自分「達」の手で、であるが)世界の誰もまだ知らない真実を明らかに出来たあの瞬間の喜びを味わってしまっては、元には戻れない。麻薬のようなものだ。もう自分自身のライブで味わうことは無いだろうが、大きな国際学会の舞台などで渾身のプレゼンが出来たあとの心地よい疲労感の中の達成感は、ライブのあとのそれと同じだということに、最近気が付いた。