2019年01月16日(水)

研究随想

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この5年間を振り返ってみると、大きく変わったことと言えば、勤務場所が産総研に変わったことと、これまで温めてきた研究成果がやっといくつか論文の形になり、日の目を見たことでしょうか。これまで一貫してエピジェネティックな現象、特にX染色体の不活性化に興味を持って研究を続けています。少し研究のインキュベーションの時間が長い欠点がありますが、動物を使う実験が主なので時間がかかってしまうという理由(言い訳?)があります。

論文になった仕事の、一つは遺伝子組換えを用いた、X染色体の不活性化をライブイメージングできる「Momiji」マウスの開発でしょうか。Momijiは赤・緑・黄色の蛍光を示すマウスから「紅葉」にヒントを得て名付けました。三毛猫のランダムな毛並み模様はX染色体の不活性化で決まることを知っている人はいるかもしれませんが、X染色体の不活性化を含めエピジェネティクスという制御は、直感的にイメージすることが難しく、何となくわかったつもりになって、自分を納得させている面もありました。我々は2本あるX染色体に赤と緑の異なる蛍光レポーター遺伝子を組み込み、細胞が「赤」、「緑」、「赤+緑=黄」の3色に光る遺伝子組み換えマスを作製しました。取り組んだのは、まさしく「エピジェネティクス」の可視化の作業で、百聞は一見に如かず、もやもやして分かりにくかったX染色体の不活性化の複雑なパターンが生きたマウス個体で、顕微鏡をのぞくだけで分かってしまうことは感動モノでした。これでやっと独自のX不活化解析ツールを手に入れることができました。

2つ目は雌でのみ発現するlong noncoding RNA FtxのKOマウスを用いた機能解析です。この仕事は、古くは非コードRNAの新学術領域のサポートを受けており、候補遺伝子スクリーニングから10年近くたって、ようやく論文にまとまった力作です。その間、二人の博士課程の学生が一生懸命難題解決に取り組んでくれました。哺乳類の雌は、お父さんとお母さんから受け継いだ2本あるX染色体をもっていますが、1本のX染色体が不活性化され働かなくなることで、雄雌の間で活性を持つX染色体の本数が揃うエピジェネティックな仕組みがあります。この仕組みが壊れると雌は死んでしまうので、非常に重要です。我々はX染色体の不活性化制御の理解のためXist以外の候補遺伝子を発見・報告してきました。それら遺伝子は、不活性化の始まる着床前に雌のみで発現し、不活性化されるX染色体自身から発現する、更に不活性化制御領域に位置する遺伝子として、Xist以外に初めて見つかったものです。状況証拠としては不活性化に関わる可能性が非常に高いと考えていたのですが、あくまでも相関関係で因果関係ははっきりしません。そこで、白黒はっきりさせるため、遺伝子を破壊したKOマウス作製を行いました。しかし、願いは神様には届かなかったのでしょうか、KOマウスは期待していたように胎児期に死ぬことはなく、雌も雄も生まれてきます。「不活性化の異常=雌は死ぬ!死ぬ!」とステレオタイプで思い込んでいた我々は、その期待が見事に裏切られ奈落の底に突き落とされた衝撃を味わいました。今から思えば勘違いなのですが、当時はせっかく作ったこのKOマウスは不活性化とは関係ないのかと落ち込んだわけです。ただ当時の博士課程の学生だった相馬さんは、めげずに交配実験を続けました。彼女は、KOの雌でのみ目が非常に小さいという症状(ヒトの小眼球症と同じ)が現れることに気が付きました。

問題なのは、この症状が現れるパターンです。非常に不思議で、従来の遺伝学では全く説明できません。いわゆる遺伝子型と、表現型が一致しません。つまり、同じKO遺伝子を持つ個体でも症状(表現型)が現れる個体と現れない個体が出現します。またX染色体の遺伝子が破壊さえた場合は一般的には、雄の方が雌より重い症状を示します。例えば、色盲が男性に多く女性にはまれなのは、光を感知するロドプシン遺伝子がX染色体に載っているためです。Xを1本しか持っていない男性は、女性より遺伝性疾患が現れやすいと言えるかもしれません。しかしそのような従来の遺伝パターンとは異なり、Ftx KOマウスではなぜか雌の方でのみ表現型が現れるのです。通常このような、複雑な遺伝パターンを示すKOマウスの解析はお手上げで、闇に葬り去られ、日の目を見ることはありません。論文にもならならず表には出ないので、世の中に知られることはありませんでした。

予想(期待?)していた表現型は示さない。しかも、遺伝学では説明ができず、皆が手を付けないようなKOマウスが手元に残りました。ただ、我々のKOマウスは性差を示すという手掛かりを利用して何とか、その実態を解明しようと研究を続けました。研究の詳しい説明は、プレスリリースに書いたので、ここでは省きますが、最終的にはFtxKOマウスはX染色体の不活性化の異常を示すことを明らかにすることができました。ただし、これまでの不活性化の変異体とは異なり、X染色体上に載っている遺伝子のおよそ1/10程度の一部の遺伝子の異常を示します。これまで報告された変異体は全て死亡していたので、「X染色体不活性化の異常=死ぬ」という固定観念がありましたが、実は変異体は生まれてきて、生殖能力もあります。さらに変異は次の世代に引き継がれ、雌のみで表現型が出ることが分かりました。また表現型の出る出ないは、遺伝学ではなくエピジェネティクスの異常で説明できます。つまり、不活性化の異常を示す遺伝子が多い個体ほど症状が現れて、少ない個体は現れません。エピジェネティクスという種明かしが分かると、最初は手も足も出ない不思議な遺伝パターンも、わかった気持ちになるので不思議なものです。実は人の遺伝病にもX連鎖で女性のみが発症する疾患があり、現在さらにヒトでの研究を進めています。今回のテーマで感じたのは、研究を進めるうえで思い込みは非常に危険で、いつも観察できた現象にまっすぐ向き合いながら真実を見極める必要があるということでした。今後も、今までと変わらず自然に対して、真摯に向き合い、その一端でも分かった気持ちになれる研究をしたい思います。

最期になりましたが、一緒に研究を進めてくれる人を募集しています。学生、学振PD、ポスドクなど、受け入れ側の状況も変わるので、まずは興味があればご一報ください。

小林 慎

産業技術総合研究所 研究員
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