そんな淡い思い出が根付いていたのか、大人になってから面白い建物を探し歩くようになりました。かつての留学先のニューヘイブンという米国東部の街は、世界的なグレートアーキテクツによる面白い建物の宝庫でした。代々木競技場のデザインにつながったエーロ・サーリネン設計のアイスホッケーリンク、後年ソーク研究所を手がけたまだ新進気鋭の建築家だったルイス・カーンによるアートギャラリー(写真)など、街のいたるところに目を引く建物が点在していました。私が働いていた研究室もシーザー・ペリのたおやかな曲線が織りなす美しい建物の中にありました。こうした建物に身を置いていることは、少なからず嬉しいものでした。ひょっとしたら何か良いアイデアを思いつくのにプラスに働いたかもしれません。日本の大学でよく見かけるコンクリート壁に金属格子が取り付けられたグレーな建物とはいくぶん趣が異なります。ただ北海道大学のキャンパスには、古き良き時代の情緒あふれる建物が残っているので、今でもその辺りを通りかかっては良い気分になっています(私のラボがあるのはグレーな方ですので)。
私は父のようにアーキテクトにはなりませんでした。ただ奇遇ながら、細胞内のアーキテクトとして働くノンコーディングRNAに出会いました。発見当初からアーキテクチュラルRNA(arcRNA)の存在は大きな驚きでした。RNAが骨格となって巨大構造が形成されるには、きっとarcRNAのなかに刻まれた新たな暗号があるにちがいない、そういった問題に正面から取り組んだ本領域前半の2年間でした。NEAT1 arcRNAの配列中には複数のアーキテクチュラルな作動エレメントが存在すること、そこにはパートナータンパク質が結合し、どうやらそのヒラヒラした天然変性領域の構造変換が派生的に誘発されることによってarcRNAを中心に液体相転移が起こり、周囲から隔離された構造体が形成される、そんな流れが見えてきました。
こうしたRNAのアーキテクチュラルな働きは、どれほど一般化できるのか? という問題に答えることもネオタクソノミを実現するには重要なポイントでした。この2年間、NEAT1が抽出しづらいという奇妙な性質がセレンディピティとも言える形で発見され、類似の溶けづらいRNAを次世代シーケンス解析で同定することによって、NEAT1以外にも数多くのarcRNA候補が存在していることが分かってきました。また一方で、RNase処理によって崩壊する構造体が複数細胞内に存在していることも分かり、それらのarcRNAの存在も示唆されました。こうして、今後アーキテクトのいろいろな顔ぶれが見えてきそうな展開です。
一方で、ノンコーディングRNAとしての気難しい一面も見せ始めました。NEAT1の作動領域をさらに絞り込もうと変異解析を進めていくと、欠失領域がある程度小さくなると、それまで明瞭に見えていた表現型が幻のように捉え難くなってしまいます。つまり作動エレメントと想定している機能ユニットは、一続きの単純なものではなく、複数の箇所に散在しリダンダントにアーキテクチュラル機能を支えているようなのです。どうやら一筋縄ではいかないアーキテクトの素顔が見え隠れしてきました。本領域の後半戦では、いよいよそうした隠れたベールを完全に取り去り、これまで見たことのないグレートアーキテクトの素顔をあらわにしたいと思います。
さて前職時代、arcRNA研究がまだ混沌としていた頃、父と電車で竹芝の辺りを通ったことがありました。ぼんやりと車窓から外を眺めていると、思い出したかのようにある古びた倉庫ビルを指して、なんとなく気まずそうに、自分の設計だと教えてくれました。これといって特徴もない古びた倉庫ビルでしたが、それは東京都公文書館であることを後に知りました。遠い記憶の中で、幼少期に聞いた父が携わった建物の一つがこれか、と思い当たりました。そして改めてこの変哲もないビルを見直してみて、かつて異彩を放っていた自宅の風貌との大きなギャップを認識し、決してアーキテクトとしては順風ではなかったかもしれない父の人生に思いを馳せました。つい最近、出張の折に久しぶりに竹芝の辺りを通りかかると、その場所はすっかり更地になり、あの東京都公文書館は夢のように消え失せていました。