2014年10月24日(金)

Suppressor tRNA

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昭和54年、西暦でいえば1979年、私は京都大学理学部の3回生であった。当時体育会系の少林寺拳法部に所属しており、日々考えていたことといえば、いかにうまく人をどつくか、いかに楽に単位を取るかといったところであり、サイエンスの世界からは程遠いところにいた。
ある日楽に単位をもらうためにたまたま受けた小関治夫先生の分子遺伝学という講義で衝撃を受けた。でぃーえぬえー?いでんあんごう?とりぷれっと?さぷれっさーてぃーあーるえぬえー?でぃーえぬえーに刻まれたいでんあんごうが既に解読されているという。小関先生は、分子遺伝学というよりも生命機構学とでも私には思えるような内容を分かり易く講義してくださった。生物を取っている普通の学生諸君には常識であったのだろうが、高校で生物を取らず大学でもろくに講義に出ていなかった私には衝撃の内容だった。感動のあまり授業の後で小関先生を捕まえて長い間話し込んだ記憶がある。小関先生は研究室においでと言って下さった。これが縁となり小関研究室で4回生の卒業研究を行わせてもらうことになった。ちなみに、この分子遺伝学という講義、現在は私が担当している。

当時の小関研には、小関教授を筆頭に、志村令郎助教授、池村淑道助手、井口八郎助手という錚々たるメンバーが所属していた。余談だが、この当時の生物物理学教室自体が錚々たる布陣だった。発生の岡田節人教授、理論の寺本英教授、若き日の柳田充弘教授などなど。結局私は井口八郎助手につくことになった。これには実はほっとした。志村先生は男前でかっこよかったが苦虫をかみつぶしたようなちょっと怖い顔をしていたし、池村先生は難しいことをぶつぶつつぶやいていることが多く、井口先生が一番やさしそうだったからである。井口先生は、当時吉本新喜劇で人気スターだった花紀京にちょっと似ていて、私や悪友の近藤某は小関研の花紀京先生とひそかに呼んでいた。この井口先生が手取り足取り何も知らない私に大腸菌とファージの遺伝学を教えてくれた。

当時小関教授の研究室は大腸菌tRNAの遺伝学的研究で世界的に有名であり、多くのtRNA遺伝子(オペロン)のクローニングに成功していた。クローニングと言っても、遺伝子工学によるものではなく、ラムダファージを用いた特殊形質導入という方法でin vivoでクローニングするものであった。今や化石化した技術でなじみのない方が多いと思うので簡単に説明する。ラムダファージの生活環には、大腸菌を溶菌させて増える場合と大腸菌に溶原化して鎮静化する場合がある。溶原化する場合は、大腸菌のゲノム(当時はこのようには呼ばず染色体と言っていた気がする)中のgal遺伝子とbio遺伝子の間にあるatt λと呼ばれる部位に自身のDNAを挿入させ、あたかも大腸菌ゲノムの一部のような顔をして鎮静化するのである。しかし、ある特定の刺激に応答して溶菌サイクルに入り、爆発的に増え始める。この溶原化から溶菌サイクルが始まる際に、挿入されたファージDNAが元通り切り出されるのだが、まれに切り出される場所がずれて、大腸菌ゲノムの一部を取り込んだようなファージができる。これが特殊形質導入である。

nonsense suppressor tRNAを持つ大腸菌にラムダファージを感染させ、そのtRNA遺伝子がatt λの比較的近傍にあれば、この方法でクローニングできる。nonsense変異を持つ適当なマーカー遺伝子のsuppression活性を指標にして選択するのである。もしそのtRNA遺伝子がatt λの近傍にない場合はどうするのかって?ここでは述べないがそんな場合にも魔法のような形質導入の方法があるのである。とにかくsuppressor tRNAを指標にしたファージと大腸菌の遺伝学は緻密を極めていて知恵を絞ればほぼあらゆることが可能であった。このマニアックな世界は私を魅了し、実験をすることだけでなく新しい方法を自分で考えたりすることが面白くて堪らなかった。しかし時間は無情に過ぎ瞬く間に卒業の時期となった。実験に魅了されていた私は後ろ髪を引かれる思いで関東の製薬会社に就職の為移って行った。しかし、この時の興奮が忘れられずに、実に4年後に会社を辞め大学院に戻ってくることになる。自分の研究者としての原点はこの時の卒業研究にあるのは間違いない。
大野 睦人

京都大学 ウイルス研究所 教授
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