つれづれ

つれづれ

 

Alpha GOの衝撃はいきなりの対戦でトッププロが全く歯が立たなかったという点で、将棋電王戦の衝撃をはるかに超えるものがありました。「変な手ですねえ」「これは一目人間が有利」という序盤から、あれっ、あれっ、おかしいですよ、となって、結果は惨敗というのはプロ棋士が初めてコンピュータに一発入れられたあの第2回電王戦で一度通った道。強烈な既視感がありましたが、なんといっても心穏やかならぬ気持ちにさせられるのは、コンピュータソフトの序盤の「変態」ぶりです。局面が計算可能な終盤はともかく、場合の数では天文学的な数字になる序盤でもこれまでの常識を打ち破る手を指し、しかもそれが強い。強烈に強い。そうしてみると、コンピュータがはじき出した「評価値」の方が理にかなっている気さえしてくる。構想だとか創造力とか大局観だとかがが問われる序盤の局面ですら人間が歯が立たないのであれば、もう人間がやることは無くなってしまうのではないかと、ムンクの叫び状態になってしまった人は研究者の中には少なからずいたのではないでしょうか。はい。私もそうです。

2016年05月07日(土)

キット賛歌?

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最近の学生は「キット」を使うから原理が解らなくてね。
私なんて昔じぶんの「キット」作ってたもんね。
「キット」なんてカネかかるばっかりで。

という愚痴をこぼされる年配、いや、妙齢、いやいや、働き盛りの先生方、よくおられるような気がします。実際、僕が留学中はコンピテントセルなどは下手をすると一本1000円ぐらいで売られていたりしましたから、気合を入れて自作のコンピを1000本分注して、100万円丸儲け!!!となんか意味もなく豊かな気分になって、ちょっと奮発してカレーとKing FisherでRegent streetのガンジーでひとり打ち上げしていたのは良い思い出です。

2015年02月24日(火)

マテメソ

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マテリアルアンドメソッド、通称マテメソがごっそりsupplemental materialsになっている論文をここ数年良く眼にするようになってきました。そもそも、この、supplemental materials。僕が大学院にいた頃は存在すらなかったわけですが、最近ではクソ思慮深いレフリーの要求に丁寧に答えていると論文の容量がどんどん膨れ上がり、本体の図の数よりsupplemental figureの図の数が多い、なんていう冗談みたいな状況にもなりがちです。このあたり、研究者が研究者の首を締めているのだからざまあない、わけですが、本体の字数制限の犠牲に真っ先になるのが、マテメソの様な気がします。たしかに、論文を「物語」として読む場合にはマテメソはそれほど重要な要素ではありませんし、「物語」の面白さがクソ思慮深いエディターに最重要視される昨今では、どんどん扱いが小さくなってしまうのも仕方のないことかもしれません。しかし、しかしです。実験の再現性、ということを考えると、やはり、マテメソ、軽んじるべからず。です。まずはこちらをご覧ください。さて、A, B, Cでprobe A, Bの分布がえらく違うのはよくわかっていただけると思うのですが、これ、どのような実験条件の差かお分かりになりますでしょうか。

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