2014年10月02日(木)

「生」という実感

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昆虫少年期を経て、野鳥を追いかける幾分根暗な青年期をむかえていた私は、植物の形態形成遺伝子の解明に取り組まれていた内宮博文先生のラボで卒業研究をしました。当時は、まだDNAを扱うこと自体がトレンドであり、エッペンチューブとピペットマンを握ってのベンチワーク、クローニングやハイブリダイゼーションといった実験がファッショナブルに見えました。自分もそうした研究ができることを夢見ていたのです。しかし勇んで研究室に入った私に与えられたのは、植物の種でした。

タバコの種は、一見すると焦茶色の仁丹のようです。これを次亜塩素酸で滅菌し、寒天培地の上に撒きます。数日すると発芽し、ほどなく緑色の双葉がひらきます。この芽生えをピンセットでつまみ、ウキクサのようにMS液体培地の上に浮かべます。「するとRolCという遺伝子の発現が変化するらしい、それをよく見てくれ」というのが最初にいただいた指令でした。今思えば何とも心許ないテーマですが、これが私にとって初めての研究テーマでした。そして手渡されたのが、RolCプロモーターにGUSレポーターがつながったキメラ遺伝子が組み込まれたトランスジェニックタバコの種でした。

GUSレポーターは、2種類の基質を使い分けることによって、発現部位の組織解析と蛍光測定による発現定量が可能です。私の芽生えでGUSの組織観察をすると、葉脈、胚軸から根にいたる維管束に沿った篩部組織のみがきれいに染まっているのが見えました。RolC遺伝子は、植物に感染するバクテリア由来の遺伝子ですが、篩部組織で特異的に発現します。そしてその特異性を規定しているシグナルは何か? これが、シグナル伝達という言葉が植物の世界で聞かれ始めた当時の問題点でした。

液体培地に浮かせた芽生えを48時間後に回収して蛍光GUS assayをすると、確かに時折GUS活性が上昇することがありました。ただ何も変わらないこともしばしばで、何ともつかみどころがないものでした。このまま続けても埒が明かないと考え、培養の条件を変化させ、どの要素がGUS活性を変動させているのかを調べることにしました。塩濃度やpH、さらには温度や光条件、いろいろと変えてみたところ、行き着いたのはMS培地中のショ糖の濃度でした。

GUSの蛍光測定は、四面とも透明な石英セルに励起光が照射されると発せられる青白い蛍光を測定します。それまでの実験では、時折ほのかに光ることはあるものの、多くの場合は蛍光を認めることはありませんでした。ある日、思い切って通常100 mM程度のショ糖濃度を400 mMまで上げてみました。すると、石英セルに励起光があたり始めた瞬間、めまぐるしいほどの青白い光が石英セルから発せられました。薄暗い測定室で私の左手の中の青白い光が、室内を夢のように照らしました。

今思えば、私はこの青白い光によってサイエンスの世界から逃れられなくなったようです。結局、RolCプロモーターにはショ糖濃度を感知して転写を活性化する制御配列が備わっており、そのことが高濃度なショ糖の通り道である篩部組織における発現特異性を規定するシグナルだったのでした。

「生」の実感とは、少年期の手の中にあったコクワガタやシオカラトンボ、ヒメアカタテハまたはシュレーゲルアオガエルによって日常的に感じとれたものでした。しかし青年期にして初めて、生き物がシグナルを感知し遺伝子の発現につなげているという新しい「生」の感覚に出会ったのでした。あの時の青白い光に包まれた感覚は今でも私の根底にあります。そして今、中年期をむかえ、時折ベンチワークをするとエッペンの底のペレットが極度に見えづらくなったことを実感し、そろそろベンチから去りいく時期かと黄昏たりします。しかし一方で巷では、ゲノムワイドな遺伝子発現変動が網羅的に見えてしまう時代に突入し、これまでとは違う新しい「生」の感覚に近いうちに出会えるかもしれないと密かに期待しています。

廣瀬 哲郎

北海道大学 遺伝子病制御研究所 教授
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