2017年05月29日(月)

10年目のピンクフロイド

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 息子の理科の教科書をめくっていたら、次のような文が目に入ってきました。“月の公転と自転は同期しているため、地球から月の裏側を見ることができない・・・。”なかなか魅惑的な響きです。そういえば、月の裏側に作られた秘密基地が登場する空想小説があったような・・・

 さて、月の裏側と聞いて、別の理由で幻惑されたのは、きっと私だけではないでしょう。そんなことを書いていたら、頭の中をピンクフロイドのDarkside of the moonのメロディが流れ始めました。ロック音楽史上燦然と輝くこの名盤は、1973年にリリースされて以来、15年にも渡ってヒットチャートにランクインし続け、プログレッシブロック(プログレ)の代名詞にもなっています。私がこの音楽に出会ったのは、高校生の頃、毎日欠かさず立ち寄っていた中古レコード店で、ようやく手に入れたLP盤ジャケットを大切に抱えて、いそいそと家に帰ったことを覚えています。ピンクフロイドとの初遭遇でした。それ以来、この音楽はいつも私の周りにありました。

 10年と少し前、ノンコーディングRNA研究を始めた頃、当時はこれらの存在そのものがエポックメイキングな時代でした。“未踏のRNA大陸”、“ゲノムの暗黒物質”、“ゲノムのダークサイド”・・・新たな研究の幕開けを知らせるように、キャッチーな呼名が与えられ、大いに好奇心をくすぐられました。そして、何よりこの“ダークサイド”という響きが、私の中にそれまで刷り込まれていたものを強く刺激したのです。久しぶりにピンクフロイドの音楽が大きく鳴り始めました。Darkside of the moonのジャケットに描かれたプリズム(図)を、自分のスライドに登場させるようになったのもその頃です。そういえば、私の講演を聴いてプリズムについてコメントしてくれた方が、これまでにお二人いました(そうせずにはいられない熱烈なプログレファンでいらしたと推測します)。

 私にとって、このプリズムは、エニグマティックなノンコーディング世界への「希望」です。そして同時に、立ち向かうべき「困難」の象徴でもありました。10年ほど前のあの頃、きらびやかな外装のノンコーディング世界への扉の前に立った時は、扉の向こうにめくるめく世界が待っているように思えました。しかし、いざそこに足を踏み入れてみると、きらびやかな光は幻のように消え失せました。そして方向も分からない雲の中をひたすらもがきながら、四方に両手を伸ばし何かを掴もうとする日々が始まったのです。そんな中でもノンコーディングRNAの存在は、我々の好奇心を刺激し希望の光を灯し続ける不思議な力を放っていました。ピンクフロイドの音楽は、そうした希望と困難への焦燥感が交錯する中で気だるく鳴り続けていました。

 今振り返れば、この10年、雲の中でもがきながら偶然手の先に触れたものを握りしめ、それを伝っていくことによって、この世界を探索する起点となる場所を見出せた気がしています。また周囲を照らせるヘッドライトも手に入れました。それによって、時折周囲を取り巻く雲の内部が見え隠れするまでになってきました。もうしばらくすれば、周辺の雲を取り払うことができるかもしれません。しかしその一方で、新たに分かってきたこともあります。起点から深く掘り下げていくこれまでのやり方だけでは、この世界の全体像を俯瞰し、理解することは難しいということです。何か新しいアイデアと道具が必要そうです。そしてそれが、これからの10年の課題になっていくのでしょう。さらなる困難が待ち受けていそうです。

 私たちサイエンティストは、そもそも困難なことが好きなようです。困難に引き寄せられ、その解決に心血を注ぎ、そして現れてきたことに感動し、そしてさらなる困難に吸い寄せられていく、そんな終わりのない営みを続ける生業なのでしょう。この10年を思い起こしつつ、ピンクフロイドをまたしばしば聴くようになりました。自らの周囲を取り巻く不確かな希望と困難な壁を実感しながら、あの頃と変わらぬアンニュイな気分で聴いています。

 

  There is no dark side in the moon, really. Matter of fact, it's all dark. The only thing that makes it look light is the sun(Eclipse, In Darkside of the moon by Pink Floyd, 1973).

(終)

廣瀬 哲郎

北海道大学 遺伝子病制御研究所 教授
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