いろいろ予想外の結果もあったのですが,この論文で僕が最も興味深いと思っているのは,X染色体不活性化が正常に起こらないと,X連鎖遺伝子だけでなく常染色体連鎖遺伝子も様々なレベルで発現の増加あるいは減少を示すようになったということです.これはつまり,X染色体不活性化の異常はゲノムワイドの遺伝子発現に影響をおよぼす,ということであると解釈しています.これ,当たり前といえばそうなのかもしれませんが,これまであんまり議論されてこなかったように思います.そして,X染色体不活性化の異常は,X染色体の機能的異数性とみなせるのではないかと思うようになりました.すなわち,X染色体の数は2本でもその一方が正常に不活性化されないと,機能的な遺伝子の過多,つまり常染色体を余分に持つ染色体の異数性ようなものなのではないかと.ヒトの場合,常染色体が1本余分なトリソミーは,13番,18番,21番染色体を除き,すべて胎生致死です.ある常染色体の遺伝子量が1.5倍になっただけで,これほど重篤な影響を個体発生におよぼすなら,X染色体不活性化がうまくいかず,X連鎖遺伝子量が2倍になったら,それはそれは大きな影響が出るでしょう...
昔,大野乾さんという偉い方が,メスの細胞で活性を維持する一方のX染色体もオスの唯一のX染色体も2コピーずつある常染色体との間でバランスを取るために,転写活性を2倍に亢進させているという仮説を発表しています.そのバランスを崩すことになるX染色体不活性化の異常が,ゲノムワイドの遺伝子発現に影響をおよぼしてもおかしくないように思われるので,私たちの結果はこの大野乾さんの仮説を支持しているように思えます.そう考えると,2本の活性X染色体の存在はテトラソミーに匹敵するものかもしれません.最近はこんなことを考えてます.これまでずっと,Xist RNAの作用機序の分子基盤を知りたいと思っていきましたが,これに加え最近はX染色体の遺伝子量補償が行われないと細胞にどんな不都合を生じるのか,それを知りたくなりました.