2014年11月29日(土)

寄り道

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大学院入試も終わり、研究室に配属されたのは1992年9月。最初に与えられたミッションは、『形態誘導因子エピモルフィンのファミリー分子を同定せよ』でした。今なら配列をBlastに投げて3秒で終わる作業ですが、当時は縮重プライマーを用いたPCR→PCRフラグメントのクローニングとアクリルアミドゲル電気泳動でのシークエンス→部分断片を用いたλgt10ファージライブラリースクリーニング→全長をつなぎ合わせるサブクローニング、と、それなりに手間のかかる仕事でした。とはいえ、技術的には確立している実験ですし、やる事は決まっていますから、体力だけは自信がある人間向けの実験であったと言えましょう。そして誰しも20代の頃は体力に自信があるものです。

とはいえ、体力だけは自信があるという人間に限って、やれば必ず出来るはずのものがなぜか出来ないというのも、これまた真実であります。まずもって、PCRでバンドが増えない。ようやっと増えたと思ったら、PCRフラグメントのサブクローニングが出来ない。いまでいうところの妖怪がたくさんいたんでしょうか。どうしてコロニー生えないの?どうしてコロニー生えないの?-かと思えば緑色をした謎の巨大コロニーが出てきて、それを拾うと4時間ぐらいで増殖して凄まじい悪臭を放ったり(あれは何だったのだろう)。胎児由来のサンプルを集めるために掛け合わせをしたマウスの世話を忘れてとんでもない状態になっているのに気づかず先輩に大目玉を食ったり。およそあり得ないトラブルや騒動を色々おこして多大な迷惑を周囲の方々にかけていたころを思い出すと忸怩たる気持ちになります。

結局腕が悪すぎて何をやってもうまくいかず、もうこのプロジェクトからは逃げ出したいという気持ちになっていた時、ひょんなことから逃げ出せることになりました。ある日ラボに来ると、お茶部屋のホワイトボードの前に貼られたFaxを前に院生の方々や教授が集まり、どんよりと重い空気が流れていました。英語は何を書いているのか良くわからなかったのですが「おまえんとこの論文えらい勘違いしてんじゃねーか、こんどMatters Arisingで議論しようや」という内容らしく、急遽、エピモルフィンのファミリー分子をとる実験から、エピモルフィンの分子実体について検証する実験に関わる事になりました。エピモルフィンはかつて研究室におられた平井さん(現 関西学院大学)のプロジェクトで、平井さんのところでも検証実験が行われていたのですが、こちらでも違う角度から検証実験をしよう、ということになったわけです。

エピモルフィンについて語り始めると2日や3日では到底終わらないので詳細は省きますが、要はPCRとクローニングの実験から、ウエスタンの実験に変わったわけです。日々苦痛になりかけていた実験から解放された時の気分をなんと言い表したら良いか、、、ただ、研究テーマが変わったからといって実験がすぐに上手になるわけでもなく。結局、ウエスタンをやればやったで、シグナルが全く出ない、出たとしてもバックだらけ、、、という繰り返しではありました。ただ、当時はクローニング関連の実験と細胞培養&ウエスタン関連の実験は全く別の部屋でやっていたこともあり、雰囲気としては所属研究室をちょっと変えた、ぐらいの環境の変化がありました。実験がうまくいかないのをとかくラボのせい、他人のせいにしがちなどうしようもない性格も、この環境の変化をきっかけにすこしずつマシになっていったような気がします。場所が変わってもうまくいかないのであれば、それは自分が悪いわけですから。反省。反省。。。

ともあれ、ウエスタンの実験は性にあったのか、失敗しても失敗してもなぜかとても楽しく、それは時々ラボを訪れてこられていた憧れのお姉さまと同じ部屋で実験できるというちょっとアレな動機もあったのですが、半年あまりありとあらゆる失敗をしながら、どうにかウエスタンだけは一人前にできるようになりました。こんなことやったらどうだろう、あんなことやったらどうだろう。ウエスタンというのはそれほどステップの多い実験ではありませんし、試そうと思えば色々試すことができます。サンプルの調整も、5人の先輩に聞けば、5つの別のやり方をしているので、全部試してみる。抗体のインキュベーションの時間も洗いの時間も全部変えてみる。たった一枚のウエスタンのデータを出すのに半年あまりかかってしまったわけですが、思うに、この時にボスが気長に失敗を繰り返すのを見守ってくれたのが、その後実験が大好きになった大きな契機になった気がします。竹市先生には、感謝、感謝の言葉しかありません。このエッセーシリーズで影山さんがちょっと書かれていましたが、ちょっと試してみる、遊びごころをもって実験してみる。その一見無駄な時間が、実はとても貴重な時間なのだとつくづく思います。

ちなみに、この時についた悪い癖なのですが、今でも僕はプロトコールを見ると、ついついちょっと変えてみたいという欲求を抑えられないんですね。多くの場合、というかほぼ100%、それは改善でなく改悪にしかならないのですが、その結果を見てもう一度プロトコール通りの実験をやり直して無駄な時間を使うことに、ある種の自虐的な喜びを感じているのかもしれません。まあ、結果が全てですから、どんな回り道をしても、出りゃいいんです。出りゃ。2倍失敗しても、2倍働けば、同じ時間で終わるわけですから。子供の時も、大人になっても、回り道や寄り道ほど楽しいものはありません。

中川 真一

北海道大学 薬学研究院 教授
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