2019年01月17日(木)

サイエンティスト脳の臨界期

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臨界期とは、神経回路網の可塑性が一過的に高まる生後の限られた時期であり、生涯にわたる学習とは一線を画する、とあります。今回のブログのお題、5年前と変わったこと、変わらないこと。さて5年というと我が家では、子供が1歳から6歳、4歳から9歳へと成長しました。子供は、出来ないことが出来るようになったり大きな変化、進歩だらけです。一方、私は、変わってない、進歩してない?子供と相対的な比較では老化を除いて明らかに変わってないに類するところですが、さてどうでしょう。

この5年間は、脳の発達でいうとまさに我が子たちは臨界期になります。臨界期についての専門知識は、ココ(脳科学辞典)に譲って、、。聴覚、視覚、言語、運動学習、思い当たる節、多々あり、あれ、息子、歌下手かも?かわいそう僕のせい?遺伝的要因?いやいや、いい音楽、ビートルズでも聞かせなきゃ、って言いながら子供の成長を知りうる知識から客観視することこれまた楽しいです。研究生活では、子育て中の仲間と仕事をしています。子育ての責任感、いつ熱を出して呼ばれるか分からない限られた時間を無駄にしない、という気合に影響され、私も男女共同参画社会を意識してやってます。

ところで、相対的に成長のない私の5年間、なんでしょうか、最近、サイエンティストそれぞれの個性というか、サイエンティスト脳の発達にも臨界期みたいなのがあるのかなあと感じることがあります。すると、この5年間は自分はどの時期になるんだろうか?どっぷり研究の世界に入るのが学部生後半だとして、けっこうな年齢になってスタートするわけなので、臨界期は通常の脳の発達過程と比べれば遅いし、やはり個人差もすごくありそうです。例えば、その大きな脳にどんだけ知識を吸収して進化していくんだ?という今だ臨界期という永遠のサイエンス少年もいれば、出会った患者さんにインスパイヤーされて我が道に迷いなしとトコトン疑問を突き詰めて新しい技術開発により独自の世界を切り開いていくというサインティストなどいろいろでしょう。そんな私の臨界期(前者、後者、二人の師の薫陶を得た時期)を経て、自立の道へと進んでいるところではなかろうかと、この5年間という時間軸を絞り出してみました。臨界期の定義通り、後戻りはできない可塑性なし?とも言えますが、やるべく研究に対する後悔はなく、研究費が続く限り夢を見続けたい。やはり、脳はとても不思議です。特にこのncRNAタクソノミーの班員に参加させていただいて、論文も少し出始めて、出さないといけない論文を抱えつつも、RNAをキーワードに、ニ重にも三重にも冗長性を生み出しながら、脳全体としては機能維持を担保している分子機構の研究へと発展させつつあります。このブログで、自分の現在地を確認しつつ、同時に焦りを増しつつ、領域終了までには間に合わずとも、必ず世に仕事を出せるよう引き続き頑張って参りたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いします。

ps

うまく纏められたのかもと、ある研究者に一読を依頼したところ、サイエンティストはずっと臨界期じゃないとだめでしょ。と忠告されました。さあがんばろう。

矢野 真人

新潟大学大学院 医歯学総合研究科 准教授
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