先日、早朝に犬の散歩をしていて久しぶりに出会った犬友に、「にいちゃん、しばらく見ないうちにずいぶん老けたな」と言われ、大変ショックを受けた。そういえば身体の無理がきかなくなった。たまに運動しても昔できた動きができなくなった。読んだ論文の内容も新しいlncRNAの名前も忘れやすくなった。すでに還暦を過ぎたのでしょうがないかとも思う。今は亡き渥美清主演のフーテンの寅さん映画の初期のものを見ていたら、おいちゃん(車竜造、森川信)が死んでしまったと寅さんが勘違いして大騒ぎするシーンがあった。あの歳じゃあ勘違いされてもしようがないということになったが、そのおいちゃんの歳がどうも50代の設定だったので、またまたショックを受けた。おいちゃんは今の自分より若かったのだ。この数10年で日本人の寿命が大きく伸びたことを思い知ることになった。ちなみに、織田信長の頃は、「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」であった。
人間が年老いて死んでいくことに憤る詩人がいた。UKウェールズのディラン・トマス(Dylan Thomas)という人である。インターステラーというSF映画に出てきたので知っている人も多いかもしれない。
Do not go gentle into that good night,
Old age should burn and rave at close of day,
Rage, rage against the dying of the light(抜粋).
穏やかな夜に身を委ねるな
老人は黄昏に燃えさかり荒れ狂え
怒れ、怒れ、消えゆく光に
Rageといっているから、単なる怒りというより激しい怒り、憤怒と言った方が良いだろう。誰に対する憤怒なのだろうか。死すべき運命(mortal)の人間を作った不死(immortal)の神に対する憤怒なのだろうか。いずれにしても、自分、あるいは自分にとって大切な人がいずれは年老いて死んで行かねばならないことに、悲しみ・寂しさ・あきらめ・絶望を感じることはあっても、それに対して憤怒するという発想は今まで自分にはなかったので、この詩に新鮮な驚きと感動を味わった。憤怒しても死すべき運命は全く変わらないが、胸の奥に憤怒の炎の核のようなものが生まれそれが元気の源になるように思う。領域内で老人が怒り狂っても迷惑でしかないとは思うが、還暦になってこれからどんどん若返っていくのだと思うことにしよう。