平成の時代も間もなく終わる。エッセイのお題に従って、5年前と何が変わっただろうと考えていたら、思いが突然30年前に遡ってしまった。今から30年前、そうちょうど昭和の時代が終わろうとしていた時である。思い出はなぜか祇園花見小路のBar Fへと飛ぶ。その夜私は何人かとFで飲んでいた。テレビは昭和天皇の最後の闘病を刻一刻と伝えていた。そんな時に飲むなんて不謹慎な話だが、私はその日博士論文を提出したはかりだったので許してほしい。サバティカルに来ていたGroup I intronの研究者David A Schubという人も一緒だったような気がする。彼が昭和天皇のことをvery strong manと言っていたのを何となく覚えている。他に誰がいただろう。
私は大阪に住んでいる。大阪は飛鳥時代の古くから、難波津(なにわづ)と呼ばれた港を中心に大陸・諸国との交易で栄えた。それ以来、水運に支えられて経済と文化の中心的都市として発展し、明治の頃には“水の都”と呼ばれた。そのため大阪には多くの橋があり、八百八橋といわれる。私の住む近くにも大川という淀川の支流が流れていて、難波橋(ライオン橋)、天神橋、天満橋など多くの橋がある。
数年前に父親が亡くなってから、老衰と死を常に意識するようになった。加えて、妻が老人保健施設で働いている関係上、生々しい老人問題の話を聞く機会が多い。こんな年寄りばかりになってしまって日本は大丈夫だろうか、なぜ政府は少子化対策にもっと真剣に取り組まないのか。日本人は自分が老いることに準備をする人はほとんどいないと思う。日本人はもっと、いかに老いるべきか、いかに死ぬべきかを考え議論するべきではないのか、そのために海外の先進国に倣って若い時からしかるべき教育をするべきではないのか、云々。
この領域に入れてもらってからノンコーディングRNAの研究を始めたこともあって、この2年間は勝手の分からないことが数多くありました。出町柳駅から京都大学理学部へ講義に向かう途中、領域前半を振り返ってそのような失敗・不手際の数々をつらつら考えて歩いていたところ、とある小さな教会の看板に目が留まりました。それには次のような言葉が書いてありました。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多い。」
(マタイによる福音書7章13節)
私の技・カイゼン術について書けと言われたが、良いネタを思いつかないので全然違うことを書くことにする。
先日東京で一般の人相手に講演する機会があった。ncRNAのことをついでに宣伝しようと考えて、廣瀬さんにイントロのパワーポイントを送ってもらった(中川さん泊さんにもお世話になった)。その中に、セントラルドグマの修正(図1)というのがあった。多数のncRNAが発見された今となってはDNA makes RNA makes Proteinというのは間違いで、DNA makes RNA often makes no Proteinが真実の姿である。うまいこというなと思って使わせてもらうことにしたが、これをきっかけにセントラルドグマのことを少し調べなおした。
お気に入りの実験機器である旧ファルマシア社のSMARTシステムについて書こう・・・かと最初は思ったが、研究とは関係ないがもっとお気に入りでずっとSMARTな犬(Canis lupus familiaris)について書くことにする。
この歳になって初めて犬を飼うことになるとは思わなかった。犬を飼いはじめたのは、元々娘が望んだからであったが、その娘も今は親元を離れて下宿生活。良くある話だが、犬の世話をするのは100%私の役目となってしまった。