2017年08月12日(土)

十年前と変わらないもの

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研究室は3回引越して、自宅は2回引越して海外にも住んで、研究室の人員も年々入れ替わって。そういう変化する日常の一方で、長年あまり変わらないものもあります。

9628先日富山の街を歩いていたら、ひっそりと静態保存されている蒸気機関車(9628号)がありました。製造は大正3年(1914年)で引退は昭和45年(1970年)、東海道新幹線が開業してからも何年も走っていたことになります。総走行距離24,654,247 km、1年間に地球を10周以上回っていた計算です。何十年間も現役だったこともその間の記録が残っているところも凄い!

線虫Caenorhabditis elegansをモデル生物として使い始めたのは、2002年にノーベル賞を受けることになるSydney Brennerです。その最初の単著の論文が出たのが1974年、モデル生物の歴史としては浅い方です。以来、その論文に記載されたさまざま実験手法が線虫研究者コミュニティの標準となっており、現在でもMaterials and Methodsでその論文を引用する例が少なくありません。線虫研究者コミュニティは、未発表の情報や研究資材を共有してみんなで研究を進めていく一体感が特徴です。と、途中からコミュニティに加わった僕らはそう聞かされましたし、実際に2年に一度のC. elegansの国際学会でも、特に第一、第二世代の、各分野を切り拓いた研究者達からはそういうスピーチが聞かれます。

僕自身、実験室における線虫の飼育方法は、培地の組成から大腸菌の株、寒天の銘柄に至るまで二十年間変わりません。生殖巣に環状プラスミドDNAを注入してトランスジェニック線虫を作製する方法(1991年にCraig Mello(2006年ノーベル賞受賞)らが発表)も、二十年来変わりません。実験の再現性あるいは研究の一貫性を重視するために、世界中で自ずと研究資材や方法論の標準化が図られた結果といえます。先日の国際学会では、大腸菌を大量に(数十キロリットル!)培養して生きたまま凍結乾燥した餌用粉末の見本が大量に配られていました。

百トン近い鉄の塊のような蒸気機関車が何世代も石炭と水だけで動かされていたのを目の当たりにすると、百年以上前の人たちが努力の積み重ねで到達した持続可能なものつくりの技術には頭が下がります。

研究の世界でも、長年言い伝えられて都市伝説のようになった経験則には確かに一理あります。しかし、その思い込みを外れたところに意外な発見がある、というのもよくあることです。多細胞生物として最初にゲノムプロジェクトが完了して久しい線虫ですが、近年は、標準株であるN2株以外の自然単離株、elegans以外のCaenorhabditis属や近縁種、大腸菌以外の天然細菌株を実験室に持ち込んで比較する研究が広がり、当然のことながら実験室環境とは異なる自然界の線虫の生態が知られるようになってきました。それもこれも、多くの方が言及しているようなここ十年での次世代シーケンサーの普及が背景にあります。

先達が敷いたレールの上にある標準化されたモデルに敬意を表しつつ、研究の新たな展開にはレールから敢えてはみ出す勇気も必要だと思います(そのバランスが難しい)。だからこそ、先入観を持たない新参者が構わず参入して異分野と積極的に交流でき失敗を恐れず挑戦できる環境が、研究には求められるのではないでしょうか。

黒柳 秀人

東京医科歯科大学 難治疾患研究所 准教授
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