2016年09月28日(水)

初恋Gomafu(4)

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当時の状況としては

1) FISH・免疫組織染色等では差が見られなかった。
2) 行動アッセイで弱いながら表現型が見られた。
3) スプライシング因子と相互作用しており、選択的スプライシングの変化が予想された。
4) 怒涛の発現マイクロアレイ、エクソンアレイ解析では何も差が見られなかった。

ということになります。4)でかなり金銭的にも精神的にも消耗したので「撤退」の2文字が頭によぎりましたが、そこは初恋のなせる技。子育て中の親鳥が餌を探し回るがごとく、ミーティングや学会に出るたびにこの状況を打破してくれるウルトラCに出会えないかと物色し、Ben BlencoweさんのNGSを用いた選択的スプライシング解析を聞いた時は、科学特捜隊が手も足も出ず苦しんでる中ようやく光の国からウルトラマンがやってきたような気がしました。ずん、ずん、ずん、と、だんだん大きくなってくるあれですね。

次世代シークエンサーは当時でも塩見春さんや美喜子さんがmiRNAの解析に積極的に取り入れておられましたが、データ解析が結構大変なんだよ、というウワサを聞いて、こりゃダメだと諦めていたところもあったのですが、Benさんのパイプラインをそのまま使わせてもらえ、しかもシークエンスも格安でトロントのcore facilityでやってくれるということで、こりゃやらぬ理由はないと。

Dry解析の方は良いとして、サンプル調整のWet部分はこちらで色々考えなくてはいけません。これまでマイクロアレイで結果が得られなかったことを教訓に、少し工夫しました。まず、Gomafuを発現していないグリア細胞のコンタミをなくしたいので、海馬の初代培養細胞を使うことにしました。無血清の培養条件ではグリアは全て死んで神経細胞だけ生き残るので、結構均一な神経細胞を得ることができます。また、メタンフェタミンの連続投与で顕著な行動異常を示したことを考慮し、KClで脱分極させて、30分後、3時間後、無刺激の3条件でスプライシングの変化を調べることにしました。タイミングの良いことに、BenさんのところでPhDをとったJoが理研のポスドクとして研究室に来てくれることになり、体制は万全!のはずだったのですが、、、

結果は、あまり芳しいものではありませんでした。うーむ。難しい。またもや、発現量や選択的スプライシングで顕著な差を示すものはほとんどなかったのです。

ただ、それでも二枚腰三枚腰でJoが粘っこく解析を続けてくれ、再現性よく、発現変化を示す遺伝子が見つかってきました。特に、Gomafuの遺伝子座の近傍にあるNoc4l、Ddx51は発現の上昇が見られます。

遺伝子座をいじったために起きるシスの効果であることは否定はできないのですが、Neuro2AでGomafuを強制発現させると逆に発現の低下が見られたことから、トランスに発現を制御しているのではないかと考えています。選択的スプライシングに関しても、ごく少数ながら、少なくとも手持ちのn=5のサンプルで全て同じ傾向の発現変化を示すものも見つかってきました。本来であればこれらの分子メカニズムをもう少し詰めて、、、ということをしなくてはいけないのかもしれませんが、何せGomafu KOを手にしてから10年近く経っていること、Joは4年にわたる留学期間を終えて帰国してしまったことなども考え、ここらで一つまとめておこう、ということで、今回の報告になりました(Ip et al., 2016)。

長鎖ncRNAの解析という意味では、まだまだツメが甘いのですが、一連のGomafuの解析を通していろいろと学ぶことがありました。まず最初に、やはりお師匠さんは先見の明があった。ということですね。モノになるか分からない、という10年前の予想は見事に当たって、贔屓目に見ても、世の中のncRNA研究の流れを大きく変えるような「モノ」に仕立てることはできなかったのは確かです。ただし、混沌とした長鎖ncRNAの生理機能の解析の中できちんと個体レベルでの表現型を報告できたという点では一定の知見を付け加えることはできたと思いますし、何よりも、必死で解析手法を探し回ったおかげで、宮川さん、Benさん、北市さん、といったそうでなければ出会うことのなかったであろう方々と共同研究できたことはとても大きな財産になっています。論文になるのは前後しましたが、Neat1やMalat1の解析をしようと思ったのも、RIKEN CDBの超絶core facilityに依頼すればKOマウスを手軽に手に入れることができることをGomafuを通して体感していたからにほかありません。また、次世代シークエンサーに対する精神的な敷居が一気に低くなったことも大きな収穫で、バイオインフォマティシャンまではいかないまでも、雲の上の存在だったベンチ屋かつドライ屋の河岡くんの背中が視野に捉えられるぐらいのレベルまでは追いついたかな、とか。負けんぞ若いもんには。

この仕事、本当に長くかかったこともあり、共同研究者以外の多くの方にも色々お世話になりました。研究というのは多くの人が関わってようやく一つの成果につながるということを、ひしひしと実感した次第です。何と言っても、理研の僕のラボの発足当時からこの10年間ずっとアシスタントを勤めてくださった梨木千絵子さんの献身的な貢献がなければ、事務能力ほぼゼロの僕が書類手続きが発生するような共同研究に踏み出す事もなかったと思います。梨木さんにはベンチの仕事も手伝ってもらっていて、関連プラスミドの精製はほとんど梨木さんによるもの。多大なる論文への貢献から、Gomafu論文の第3著者に入ってもらいました。そんな梨木さん、ラボを支え続けてくれた梨木さんが肺がんで亡くなられたのは去る6月29日のことです。年明けにがんが見つかってから、あまりにも早い逝去でした。5月12日のGomafu論文のアクセプトの時は入院中でしたが、中川研といえばGomafuでしたからねえ、と、喜びを分かち合うことができたのは大切な思い出です。これまでずっと100%基礎研究でやってきましたが、理研から北大に移り、薬学部という場所でラボを持つことの意味を、色々と考える今日この頃です。

中川 真一

北海道大学 薬学研究院 教授
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