当時の渡邊研究室では、tRNA、遺伝暗号、蛋白質合成など、工学部とは思えない非常に基礎的な研究をおこなっていました。卒業研究のテーマは「植物ミトコンドリアにおけるRNAエディティングの分子機構」というタイトルでした。当時、植物ミトコンドリアやクロロプラストで見いだされたmRNAのCからUへの変換のRNAエディティングの分子機構を明らかにすることを目的としたものでした。基本的な教科書レベルの分子生物学しか学んでいなかった私にとってはRNAエディティングという現象は、研究対象として非常に面白いと感じられました。今ではRNAエディティングは分子生物学の教科書に記載されている内容となっています。
第一目標は、mRNA上のCからUへのエディティングをin vitroで起こさせるシステムを構築することでした。研究室の片隅で、ダンボールで遮光しながら小麦を育て、黄色い小麦の幼葉からミトコンドリアをSDGで調整しました。ミトコンドリア抽出液とエディティング前のRNAとを反応させて、特定のCがUへと変換されるかどうか試験管内で調べるということを続けました。解析方法として、抽出液とmRNAとを混合後、mRNAをRT-PCRで増幅し、エディティングが起きていればcDNA内に新たな制限酵素サイトが生じることを利用する系、CからUへのエディティングが起きていれば、逆転写酵素を用いたプライマーエクステンションでエディティングサイトがリードスルーされる系、さらにはα-32P CTPでラベルされたmRNAを抽出液と反応させ、その後RNAをヌクレアーゼP1で完全分解し、TLCでpUのスポットが出てくるかどうかを調べる系などいくつか試しました。
あっという間に2年半が経過し、全く、試験管内でmRNAのCからUへのエディティングを再現することはできませんでした。結局、博士課程へ進学することを希望していた私は研究テーマを動物ミトコンドリアにおける変則暗号の解読機構へと変えざるをえず、3年半後、「ミトコンドリアにおける遺伝暗号変化の分子機構」というタイトルで博士号を取りました。
博士取得後、博士研究員として仏 ストラスブールのIBMP(植物分子生物学研究所)のMarechal-Drouard博士、Gualberto博士のもとで植物(マメ科)ミトコンドリアtRNAにおけるCからUへのエディティングの分子機構解明に再挑戦をしました。しかし、その最中(その時にもうまくいっていませんでした)、当時名古屋大学で助手をしておられました本新学術領域代表の廣瀬哲郎さんがタバコクロロプラストの抽出液を用いてmRNAでのCからUへのエディティングを試験管内で起こさせるシステムを構築できたというニュースが伝わってきました。(その後、廣瀬さんとはエール大学で一時期、博士研究員としてともに過ごすこととなります)。結局、仏でもうまくいかず、フェローシップが切れるということで、1年の仏滞在後、米のエール大学へ移ることになりました。
不思議なことに、うまくいかない時期が長かったにもかかわらず、よく(我慢して?熱中して?)続けていたなと思います。20歳代で体力があったこともありますが、それだけではなかったような気がします。研究対象が実際に知的好奇心を刺激していたんだろうなと思います。
最近は、分析機器が高度化し、ほとんどの実験がキット化され、外部への解析委託も充実しており、研究がスピーディーに進められるようになりました。 一方で、データーがでないと、報告会(報告書)どうしよう、論文がでなかったらどうしよう、研究費がとれなくなるな、ポスドクやテクニシャンの雇用費はどうしよう、(さらには自分のボーナスの査定が下がる)とか余計なことがたくさん頭をよぎります。最近は、「データーがなくても死にはせんからな」っとなってきましたが。
結局のところ、当たり前のことですが、研究には知的好奇心にまさるモーティベーションに勝るものはないような気がします。最近は、「我々の使命は○○○だから、、、そういう状況になっていますから○○○、、、」云々と頭ごなしにいわれていますが、研究者が主体でない一部の意見は研究者の心に響かないでしょう。また、そういった使命感それだけでは研究は続けられないし、いい研究はできないような気がします。
研究者をしていて、何の成果がでないのもいやですが、「2、3年位うまくいかなくても、5年もすればうまくいくだろう」と感じられるようになっているのは、最初の研究がうまくいかなかったおかげだと思っています。それから、研究はうまくいかないことの方が多いので、1年で結果がでると思ったことも、2、3年、あるいは5年くらいかかることが多いことを経験してきたからのような気もします。