公式連載

公式連載

2017年12月29日(金)

ゆく年くる年2017/2018

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当方にとって、2017年はとても充実した一年でありました。RNAタクソノミ班の公募に採用頂いたこと、Qki5-CLIPの論文がアクセプトになったこと、また本領域のサポートによりコールドスプリングハーバー会議へ参加ができたこと、 Tokyo RNA Clubでの発表機会を頂いた事などなど。本RNAブログに書くべきことがいっぱい!全ての本領域の支援に深謝いたします。その度に、ブログへのご依頼を頂いていたこともまた事実でございます。この年の瀬に、これらも合わせてRNAブログに足跡を残してみようと思います。くる年2018は、私どもにとって、はや、RNAタクソノミは最終年度、温めていた面白いプロジェクトを急加速することで、本領域への貢献を目指します。どうか引き続きよろしくお願いします。

2017年12月25日(月)

斬月

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公募班の福永です。9月まで早大・浜田研でポスドクをしていましたが、10月1日より東大院・情報理工学研究科・コンピュータ科学専攻の助教に着任いたしました。着任したばかりということもあり講義等であたふたしていますが、研究の方も着実に進めてまいりたいと思いますので、今後もよろしくお願い致します。 

2017年12月25日(月)

GONADな一年

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学位を取って研究の世界に入ってかれこれ20年近くが経とうとしているわけですが、20年前と今とでは世の中の研究のスタイルや潮流が大きく変わっていることに改めて驚かされます。

2017年12月21日(木)

ネオタクソノミ ゆく年くる年

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ネオタクソノミ班も4年目、多くのプロジェクトは収穫までは至りませんでしたが、いよいよ熟す手前にまではきたという手ごたえを感じる一年でした。マイクロRNAの研究は関節炎・癌や新しい制御機構を中心に遂行してきましたが、リバイス中のものも含めて、来年度早々から春にかけては大小おりまぜ7本を発表できそうな見込み。マイクロRNAの働きについては、全身を俯瞰しても、今までのイメージ以上に(?)、決してマイクロなレベルにとどまらないことを、ジェネティックスから治療応用まで、確信をもてるところまで追求できたように思います。もう少しひろげたRNA制御のプロジェクトとしても、加えて論文ドラフト3本分ほどの知見が集積しました。これらの中には、班員の皆様の協力なしには困難であったものも複数あり、本研究班のありがたみをひしひしと感じております。リバイスに1年以上かかることすらあるこの頃状況を顧みますと、油断はできませんが、これらの成果を統合することで、最終年度、ネオタクソノミという観点からのクラス分けに貢献できればと思います。振り返れば、この一年は、班会議に始まり、内藤コンファレンス、分子生物学会と最高のRNA三昧の一年を過ごすことができましたこと、班の皆様、班を支援くださる皆様に心より感謝いたします。

2017年12月20日(水)

人生の岐路の制御因子

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ノンコーディングRNA(ncRNA)の基礎研究者として、とても共感できる文章に出会ったので紹介したいと思います。某国立大学の文学部長の新入生に向けた式辞で、一時期ネット上で話題になっていたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向をふり返ってみますと、人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう。

2017年09月13日(水)

十年後の君しか見ない!

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「十年後の君しか見ない!」

研究者として自信がもてず、不安な日々を過ごしていた頃、運よくも“さきがけ研究”に選んでくださった時に、元熊本大学学長の江口吾郎先生に、最初に呼び出されてかけられた言葉がそれでした。

2017年08月12日(土)

十年前と変わらないもの

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研究室は3回引越して、自宅は2回引越して海外にも住んで、研究室の人員も年々入れ替わって。そういう変化する日常の一方で、長年あまり変わらないものもあります。

2017年08月03日(木)

RNAと走ること

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「やっぱりRNAってすごい!」神戸でのRNAネオタクソノミ領域会議と北海道での内藤記念科学振興財団主催のncRNA会議に参加して、私の頭に繰り返し浮かんだのはこの言葉だ。もちろん発表された先生方のプレゼンや研究がすごいのだが、どんどん広がりをみせるRNAの世界に思いを馳せ、帰りのバスの中で研究アイディアを練りながらひとりほくそ笑むのも心地良かった。

10年前の2007年、NAISTの島本 功教授 (故人) の研究室で行われていた花成ホルモン,フロリゲンの研究がScience誌に掲載され、ネットニュースにも “花咲爺さんの灰を発見!!!”と話題となり、島本研は華いでいた。その中、私は、島本研でオーバードクターなりたてほやほや、、、いつ学位が取得できるのかと不安な気持ちとストレスに包まれていた。

2017年07月22日(土)

あれから10年

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10年前(2007)の今頃といえば、当時、上野の不忍池の近くにあったJSTの借りうけていた事務所にて、さきがけの面接があった頃である。千代田線の湯島駅でおりて、面接会場に向かった。その日は、梅雨明け後の非常に暑い日であったことを覚えている。薄暗い階段を上がっていった、つきあたりの事務室が面接会場であった。

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