最近はミジンコを使った研究も少し状況が変わり、いわゆるdescriptive な研究から脱却し、ゲノム編集技術により遺伝子機能解析を行えるようになってきました。この技術を用いてlncRNA、DAPALR の研究を進め、ここ5 年は、振り返ればDAPALR がいる、と言っても言い過ぎではないような気がしています。昨年発表したDAPALR 論文の紹介は、ブログの研究成果紹介のところに記載させていただきましたので、少し重なってしまいますがここ5 年の私のRNA 研究を振り返ってみたいと思います。
私は本領域で、piRNAと呼ばれる非コードRNAによる転写制御の研究を一貫して進めてきました。したがって、この5年間で一番の「変わったこと」は、もちろん「piRNAがどのようにゲノムに作用しているのか」の理解の深まりにあると思います。この話題については今投稿中の論文が掲載された際に苦労話?も含めてじっくり語る機会があると信じて、また、中川さんと泊さんからネオタクソノミブログのアピール効果はスゴイ!と伺ったこともあり、今回は少し違う話題に焦点をあてたいと思います。
昨年私は、RNAバイオベンチャーを設立いたしました。いい機会なので今日はその経緯について書きたいと思います。
2018年も残り二日です。クリスマスより、年末のワタワタしたかんじが好きなのは、日本人だからなのでしょうか。
本領域では、 前期、後期、公募班として参加させていただきました。植物の学会ではお会いできないような研究者の方たちと知り合いになれたこと、大変貴重な時間となりました。
公募班の福永です。お題が「5年前と変わったこと、変わらないこと」という事ですが、5年前は学生でした的な個人の話は既にしたので、研究寄りの話をします。
北大に異動したときに浅原さんに送っていただいた胡蝶蘭。気の遠くなるほど積み重なった廃棄物品と引っ越しダンボールでエントロピーMaxに振れ切ったラボにあって、その清楚で毅然と咲き誇る花はまさに掃き溜めに鶴の趣がありました。しかしながら、一通り咲き終わった後は鉢の植え替えはしたものの、水やりを忘れることもしばしば。毎年何枚か葉っぱが出て何枚か葉っぱが枯れるだけのただの観葉植物と化していました。「胡蝶蘭」「花」「咲かない」と検索すればわんさか情報がでてくるものの、「ポスドク」「職」「見つからない」でかつてボスドク時代に検索していたころと同じく、そんなものかいなあととりあえず納得する以上でも以下でもない情報しか出てこないものですから、枯れない程度に世話をする、そういう状態がずっとつづいていました。
2018年もあと僅か、ビルボードの今年のヒットチャートトップテンを眺めて、前から、気になっていたあの、“feat.”という言葉が10曲中5曲のアーティストに使われていることに気づいた。そう、“Maroon 5 Featuring Cardi B”、てなかんじで。
本領域5年間を振り返ると、国際交流活動が特に充実していたように思います。毎年、著名なncRNA研究者を日本に招待する機会に恵まれ、多くの国際シンポジウムを開催することができました。こうした海外研究者たちとの交流は、楽しく刺激的であり、また一方でいろいろと考えさせられることもありました。先日のTokyo RNA Clubでのこと、ドイツから来てくれた新進気鋭の若手研究者は、盛んに「日本はウェスタンカントリーにちかくて過ごしやすいよ」と言ってくれました。すると、傍で聞いていた米国の大御所も「前回来たときよりも日本はウェスタン化したんじゃないか」と同調してきました。彼らは明らかに褒め言葉として、現在の日本の印象を口にしているようでしたが、私たちはこうした印象をどのように捉えればよいのでしょうか?
大学の使命は研究と同時に、人材育成にある。18歳人口が減少するなか、大学ではいかに学生を勧誘するかに皆が注力している。定員割れが起きれば、大学経営にも影響があるので死活問題である。現在の基礎研究、特に生物学分野では、研究は一人ではできず、組織で行うことが多くなっている。そのため、研究を上手く進める上でも、貴重なマンパワーである優秀な学生を皆が求めるのは、至極もっともなことかもしれない。私はH29年度に東京医科歯科大学から産業技術研究所に異動したので、表面上は教育から一旦離れたように見えたかもしれない。だが実際は、指導している博士課程最終年度の学生を一人、大学に残して来た。昨年度、無事彼も卒業し「博士」の学位を取得することができた。めでたい!と同時にホッとした。
4年に1度の冬季オリンピック開催 !ですね。
個人的には、2月も中旬を過ぎ、2018年も1/6 が過ぎてしまうのかと思うと違う汗タラリ。